知覚

田ンぼの中の交差点にて白バイを見かける。見通しが良く一時停止であってもスルーしそうな交差点だが、白バイを認識できなかったのはあやふやな一時停止を終えて左右確認をしたタイミングだった。白バイはこちらに背を向け別な交差点を狙っていたようだが、ミラー越しにこちらをチェックしているようだった。たとえ「見通しが良い」と思っていたとしても、実際には白バイが見えていなかったのだから、本当に「見通しが良」かったかと言えないだろう。

「見える」と認識する事と本当に「見えている」「見ている」事は別なんだろう。何か事を行う場合、良く「見なければならない」。しかし「見えた」のか「見た」のかは良く吟味しなければいけない。白バイを見たあるいは認識した瞬間、俺は「こちらを狙ってはいない」とは思ったものの、Uターンして来ないことにホッとしたのだった。

「一時停止」とは完全な停止、つまり”0km/h”にすることである。この意味からすると、俺のライディングは「一時停止」だったかどうかは微妙な所だったろう。「ホッとした」という所は、そういう所から来る罪悪感から来たモノだ。もちろん安全確認という面では十分なタイミングではあった。しかし取り締まりではその細かな所を重視する。その細かい所が違反かそうでないかを決定するからだ。たとえダンプに煽られていようが原付が45km/hで走っていれば1点加点なのだ。もし白バイがUターンしてきて「アンタ一停しなかったろ?」とツッコまれたら、多分俺には言いわけできない(人によってはゴネるかもしれん)。

しかし白バイはわざわざUターンしてきてして「拿捕」しには来なかった。白バイ側も「見えて」いなかったんだろう。俺と白バイ、おたがいにおたがいがあいまいにしか「見えて」いなかった。白バイだって人の子、ミラー越しに見た微妙な停止を、わざわざ追っかけてまで数点ゲットとまでいかなかったのだろう。可視可能とはいえ、距離もちょっとある。もし、例えば俺が常習者で無茶な逃走をしたらやっかいだ。ゴネたとしたら時間の無駄。これがもし正面で目視していたら事情は違っていたかもしれない。

おたがい「見えて」いなかったために今日も数点の加点と数千円がフイになった世界。