いつものマクド(17:30)

この店、冷気が循環してる。もしかして冷房利かせてるんじゃないのか?ここ。

意識しなければなんてことは無い、が

 昨日、久々に友人共が集まった。集まったのはみな同業者だが、それぞれ一時期メンヘラだったりニートやってた奴らばかりだ(余談だがこの日から『ナイスニート!』が俺らの挨拶になったりした)。そういう奴が結構多い。俺の周りだけか?しかしなんとか復帰して食っていけている。俺より早いタイミングでそうなっただけだ。そうでない、安定した、うまくやってる奴らを見ると、仕事が出来て、仕事以外に生きがいを持っている(趣味・彼女・嫁・家族)奴、つまり「リア充」ばかり。勝ち組負け組論は好きじゃなかったが、こんな狭い範囲でも格差を意識せざるを得なくなってきた。

 勝ち/負けのボーダーラインは、己がそう意識するかどうかにあると思う。はてなダイアリー界隈では「スクールカースト」の話題が挙がった事があったが、AクラスからCクラスは意識の対象外であるように、勝ち組からは負け組が見えない。彼らの目の前には「すばらしい世界」が広がっているだけで、俺たちが「負け組」である事すら気が付いていない。彼らに「同等に扱われる」事で、俺は負け組である事を意識してしまう。
 振り返れば、この絶望感に似た無気力感は小学生ぐらいから俺の中にあった気がする。俺は小学生のころからなんら変わっていないのではないか。そう考えると、これから先もこの感覚から逃げられないのだろうな。